NPO法人日本ニーム協会 平成31年 セミナー
「NPO法人日本ニーム協会 平成31年 セミナー」平成31年3月13日
【式 典】
13:00 〔開 場〕
13:30 〔開会〕 司会 NPO法人 日本ニーム協会 理事 根本 堅冶 氏
13:35 〔開会の辞〕 NPO法人 日本ニーム協会 理事 阿久津 賢哉 氏
13:40 〔ゲスト紹介〕 稲葉会長
【ゲスト挨拶】
13:50 野口 修二 氏 外務省アフリカ部アフリカ第二課 地域調査官
14:05 ムサ ムハンマド オマル氏 元駐日スーダン共和国特命全権大使、
元駐日サウジアラビア王国大使館顧問
14:20 山下 浩二 氏 EV(電気自動車)安全協会会長 工学博士・法学博士
【会長挨拶】
【 休 憩 】
【 講 師 】
15:00 谷山 成昭 氏 山水株式会社 社長 オリーブと農業用水の普及活動
15:15 前田 勝之 氏 日本ニーム協会 理事 アフリカ19ヶ国放浪記
15:30 萩原 孝一 氏 前国際連合工業開発機関 開発官、 アフリカ協会
16:00 質問
【閉会の辞】
16:30 NPO法人 日本ニーム協会 理事 菊池 和一 氏
野口 修二 氏
TICADの話をします。
アフリカは対応性に富んでおり、経済成長が著しい。
アフリカは10億人が居住しており、若い人が多い。
54ヶ国の独立国があり、世界の23%の土地を所有している。
日本の投資は進まないが、世界の多くが進出している。
国連が積極的に関与、その8割がアフリカである。
アフリカ貿易協定が進んでいる。中国が急速に対応している。
日本が1993年にTICADを始めた。
2013年横浜のTICADには51ヶ国が参加し、3.1兆円の支援。
アフリカは欧州との関係が強い。親日家を育てる。
2016年TICAD6はナイロビで行われた。
2017年TICAD7に日本ニーム協会も参加して欲しい。
ムサ ムハンマド オマル氏
オマル大使には、愛知万博の時、アフリカ館の入り口にニームの木を並べて頂きました。
ニームはインド産だが、アフリカでも育てやすい。
寒くなると葉が落ちるが、すぐに緑になる。
ニーム一本の木は、薬局と同じです。
ニームは全ての部位が薬草である。
日本に来て50年になる。
1964年 スーダン日本友好協会を創った。
スーダンでは英国に留学、私だけが日本に来た。
スーダンから来る留学生は公務員です。
自分の家を大使館に貸しました。今は個人ですので、生活が大変です。
山下 浩二 氏
私は電気自動車を20年やってきました。
外国の方に日本は大丈夫かと言われた。
日本は変革の時代。
今までは表日本が栄えたが、これからは裏日本の時代。
救急車を一台 ニーム号と名づけ贈呈する。
これからは内電機関からモーターの時代。
日本の技術しかできないバッテリーがある。
モーター → バッテリー → 発電 → 新しいエネルギーに変わる。
アフリカでは自国の産業として支援する。
ベトナムに世界標準協会をつくる。
エネルギーは一つに頼らない、25%の法則がある。
日本人が忘れていること、そこで童謡学会をつくる。
滝廉太郎の曲を中心にやっていく。
稲葉 会長
本日は素晴らしい講師の方に出演頂きました。
外務省の野口氏とはアフリカのコンゴに行った時(2015年)、大使館でお世話になりました。
12月3日TICAD 絡みで「GGG+フォーラム東京2018」で講演をしました。
2019年 外務省にてTICADに参加表明をしました。
2月15日 外務省にてプレゼンしました。
ニームの植林を54ヶ国、全てに植えたい。
同時にコンゴを出発点に救急車で移動病院のネットワーク作りをします。
この2点を提言しています。
又、新理事3人に協力をお願いしました。
本年は全力で国の内外から依頼が来ていますので、頑張ります。
外務省からの吉報を待ちます。
スタンバイはできています。
小さな協会ですので、皆様の御協力、御指導を宜しくお願いいたします。
谷山 成昭 氏
オリーブの木と製水器を取り扱っています。
会長とは悉く近くに住み、ご縁を感じている。
会社は東京と九州にあり、九州に工場を持っている。
ニーム入りの肥料を作ろうとしている。
自分達が環境を汚している。汚れの7割が生活用水である。
オリーブの原産国はトルコです。オリーブの葉に注目、実は事業にならない。
無農薬で行う事業です。
製水器を使った水で発芽率が98%、又、病気になりにくい。
町おこしにオリーブ、オリーブ農園コミュニティをつくる。
又、環境問題でもオリーブの普及をしていきたい。
前田 勝之 理事
今年1月より新理事になりました。
危険な目に遭っても死ななかったので、選ばれた。
20代は旅人であった。
野生の王国をテレビで見てアフリカに憧れた。
就職を辞めて、旅人になった。乗り物は人のやらない、キックボードを選んだ。
初の海外旅行に中国からアフリカに渡った。
スーダン→イエメンで始めて飛行機に乗った。
野犬に遭い、怖い思いをした。囲まれた時、やばいと思った時、自然と
「僕らはみんな生きている♪」の歌を歌い。難を逃れた。
ゆっくり後ずさりをし、犬は追ってこなかった。
マラリアにも2回かかりました。
バスで事故に遭い、無傷は私一人。
今は医療関係の仕事をしている。
早くアフリカに行って、ニームの植林をしたい。
萩原 孝一 氏
1983年 インドネシアで調査の仕事に行き、道に迷い他人の家に入ったら牛刀を抜かれた。
ブンガワンソロを歌い、身を助けた。歌は良い。
今はアフリカ協会研究員
1993年 第一回が開かれる(TICAD)
日本政府は難しいことをやりすぎる。
TICADは外務省の唯一のクリーンヒット。
1989年のODAが最高額、今や半分になった。
アフリカの評価はTICAD5でウガンダのムスベス大統領が援助はいらないと言われた。
政府と企業とのギャップがある。
今、中国は日本のスタイルをパクリ 3年に1回 アフリカ会議を開いている。
ホカックという。
ニーム協会は2001年からアフリカでニームを産業として考えている。
どういう日本をつくるか、世界平和です。
右肩上がりのもの、金から脱して目にみえないものに価値を認める。
ニーム協会の意義がある。
第三次世界大戦が始まっている。
今、日本の根本的、国造りに邁進すべきだ。